11/23
今日はPythonの勉強をしていた(もちろんそれだけしていた訳ではなくだらだらネットしたりもしていた)。
どのスクリプト言語を使うのかというのは、いつも大きな問題だった。ほぼ日曜プログラマといっていい程度のプログラミングスキルの僕がそれなりに使えるJava、C#、PHPという言語はちょっとしたスクリプトを組むには幾分場違いだ。簡単なファイル操作をするような軽い処理ならばやはり、スクリプト言語と呼ばれるものを使うのが正しいのではないかと思う。そうなれば長いものに巻かれたがる自分にとってはRubyかPythonぐらいしか選択肢はないだろう。Perlはなんだか得体がしれないし、Scalaもいまいち流行っているのかよく分からない、それにLisp系はなんとなく面倒だ(そもそもスクリプト言語ではないか)。
実のところRubyはちょくちょく勉強はしていたのだが、どうしても身が入らなかった。Ruby on Railsを使うための道具だと思えばもう少しやる気も出るかもしれないが、あいにくその予定もない。その点Pythonは今日初めて触ったにもかかわらずなかなか好感触だ。
Pythonを使う上で最も大きな問題は日本語の情報の少なさだろう。Pythonがどの程度日本で人気なのかはよく分からないが、少なくともRubyより日本語の情報が少ないのは確かだろう。そうなると、日本語がないなら英語を読めばいいじゃない、となるのはまあそうなんだけど、そもそも英語でググる技術を僕は持ってないし、英語の文章はふんわりと文脈を理解することはできても、完全に理解できるには程遠い。
そうはいっても、僕はきっとPythonを使うことになるだろう。なぜだかわからないが既にPythonに少しだけ情が移ってしまっている自分がいる。
11/19
宝くじの宣伝などを見て、もし6億円当たったらどうだろうか、などと他愛ないことを考えたりする。色々と考えてみるものの、世間体の問題や人間としてダメになりそうという理由で、少なくとも無職になるという選択肢だけは無いというつまらない結論に至った。
この世で一番嫌いなものは学校、それに会社だ。僕にとって最大の幸福は学校や職場に行かなくても良い状況になることなので、宝くじが当たり6億円が当たったところでそれが達成できないのならば、それほど幸せでもないだろう。宝くじなんてその程度だ。だから宝くじは買わない。
それにしても、6億円手に入ってもそれらを投げ出すことができないというのなら、一体どうすれば僕は仕事や勉強から自由になることができるのだろうか。
11/16
高校の文化祭にRadioheadが来た。もちろん夢の話だが。
一曲目は15 stepだった。俺は今まででこの曲を5回くらいしか聴いたことがない。この位置からはあいにくトム・ヨークの顔しか見えなかったが、さておきそれは素晴らしい演奏だった。沸き上がる歓声にトム・ヨークも満更ではなさそうだ。そもそも彼の顔はいつものような小難しい顔とは一線を画しており、よもや仏のような微笑みさえたたえてている。
また彼の日本語は「コンバンハ」程度のものからかなりの上達を遂げていた。というか、普通に日本語でMCをしていた。
その後はなぜか全校生徒の演奏する太鼓を聞かされて、そこで大量の汗を流して目をさました。そういえば夢で目を覚ましたのは今日はもう2回目である。
加湿器が轟音をたてて動き出していた。臭いセンサーの表示が真っ赤になっている。要するに、俺が臭いと言いたいのだろう?
そもそもこの臭いセンサーというものは全くといっていいほど役に立たないものなのだ。なぜならこの臭いセンサーは例えば風呂上がりの匂いやできたての料理にさえ反応するし、臭いの発生源があるのなら吸ったところで意味がない。あとおならとかすると、すごい音で動き出して怒られているような気がする。その上困ったことに臭いセンサーを切るという機能はないため、一生この臭いセンサーと付き合っていかなくてはならないことが確定している。
もし叶うならば。この臭いセンサーを打ち上げ花火にくくりつけて打ち上げてやりたい。石臼で擦って粉々にしてやりたい。金づちで叩き割ってやりたい。ギロチンにかけてぶった切ってやりたい。そんな朝だった。